学校給食についてのリルからの話で、気になっていることがあります。
どうも、私の子どもの頃のような居残り給食はないものの、“嫌いなものも頑張って食べさせる”、“残さず食べるのはエライ”という教育の思想は根強く残っているようです。
今回は、好き嫌いの多い私の経験をもとに、食事に最も大切なことは何かを考えてみたいと思います。
Contents
吐きそうになりながら食べた居残り給食
私は子どもの頃から好き嫌いが多かったのですが、中でも嫌いなのは、牛肉と豚肉です。
ひき肉やウインナーのように原型をとどめていなければ食べられるのですが、かたまりの肉がダメで、特にあぶら身の部分はこの世で一番嫌いな食べ物です。
牛肉と豚肉が嫌いで問題な点は、牛肉と豚肉はメイン料理でガッツリと出てくる食材だということです。
当然ですが、給食でもかなりの頻度で出現しました。(牛肉は高いからか、豚肉の方が出現率が高かったですが)
中でも一番恐怖だったメニューは“酢豚”ですね。
なぜかというと、ブロック肉を使っている上に、その肉が衣に包まれていて見えないのです。つまり、衣の中が全部あぶら身のかたまりということもあるのです!😱
ブロック肉で大きいだけでもツラいのに、ロシアンルーレット的にあぶら身というラスボスまで出現するという、スリルあふれるメニュー・・・😱😱😱
こんなに嫌いなものでも、当時は“給食は残さず全部食べるべき”という思想のもと、居残り給食が強いられていました。
たしか、給食の後は昼休み、掃除、5時間目・・・と続いていたと思うのですが、昼休みが終わっても食べ終えれず、掃除の時間になっても食べていたこともしばしばでした。。。
嫌いなものを頑張って食べさせるとトラウマになる。
はたして、居残りさせられて頑張って食べることで、私は嫌いなものを食べられるようになったでしょうか?
・・・いいえ。残念ながら、まったくその逆です。
吐きそうになりながら苦しい思いをして食べた結果、大人になった今でもその食べ物を見るだけで居残り給食の記憶がフラッシュバックするので、まったく受け付けられなくなってしまいました。
これが、無理やり食べさせられるという苦しい体験さえなければ、大人になった時に「食べてみようかな?」という気持ちになることがあったかもしれません。
というのも、私は子どもの頃ミョウガが嫌いだったのですが、ミョウガなどという変わった食べ物は給食で出ることはなかったので、無理やり食べさされる機会はありませんでした。
そのおかげで、大人になった時にふと「食べてみようかな?」という気持ちになったことがあり、食べてみたら想像以上に美味しかったので、ミョウガを好きになることができた、という経験があります。
味覚は発達もするし、大人になるにしたがって味の好みも変わってくるので、子どもの時に食べられなかったものでも、大人になったら食べられるようになることもあります。
栄養素だけが栄養ではない。
好き嫌いは良くないと考える人というのは、栄養素だけが子どもに必要な栄養だととらえているのではないかと思う節があります。
頑張って野菜を食べなさい、肉を食べなさい、牛乳を飲みなさい・・・と、まるで、それを食べなければ生きるのに重大な影響があるかのように言います。
しかし、どの食べ物にも何かしらの栄養はあり、特定の食べ物にしか含まれていない栄養というのはありません。とりあえず、何か食べてさえいれば、生きていけます。
リルのお友達にもかなりの偏食っ子が何人かいますが、みんなちゃんと成長しています。多少、感染症にかかりやすかったりはしますが、病院に行って寝てれば治ってます。
本当に怖い病気は、体の病気ではなく、心の病気です。
なぜなら、体の病気のように何日かで治るようなものではなく、治るのに何年もかかったり、治っても再発したり、下手すると一生治らない場合もあります。
私の居残り給食のトラウマも、きっと一生治らないでしょう。。。
トラウマだけでなく、拒食症、自律神経失調症、起立性調節障害などに陥る可能性も考えられます。
給食を残させない理由
しかし、先生たちの“給食は残さず全部食べるべき”という思想は、単に子どもの好き嫌いを直すことだけが理由ではありません。
私が小学校の頃、先生はこんなことをよく言っていました。
「残すと、作ってくれた給食のおばさんに失礼」
「残すと、食物を育ててくれた農家さんに失礼」
「食べ物を残すのはもったいない」
「世界には貧しくて食べられない国の子もいる、残すのはぜいたく」
確かに、食べられるのに故意に残すのは嫌がらせ以外の何物でもないですが、食べられない場合は別問題だと思います。
食べたいけど嫌いで食べられない、お腹いっぱいで食べられない・・・。
残したくて残しているわけではないのに、先ほどのような言葉で責められたら、子どもは罪悪感を感じてしまいます。
その結果、「残さず食べるのはエライ子、残す自分はダメな子」というふうに、自己肯定感を下げてしまう危険性があります。
食べ物の好き嫌いも個人の好みのひとつ
そもそも、万人が好きなものなど、この世に存在しません。
「私は赤は好きだけど青は嫌い」
「私はファンタジー系の映画は好きだけど恋愛系の映画は嫌い」
「私はノリのいい曲は好きだけど静かな曲は嫌い」
などと言うのは「個人の好み」として許容されるのに対して、どうして食べ物の好き嫌いは「好きになるように努力」しないといけないのでしょうか?
美味しく食べられる人が食べるのが一番
私は、外食の時にラーメンに載っていたチャーシューを友達にあげたこともありますし、結婚式の料理に載っていたローストビーフを友達にあげたこともあります。
私も嫌いなお肉を食べなくて済んで嬉しかったし、友達も大好きなお肉が増えて喜んでいました。
きっと、作ってくれた人も、美味しく食べてくれる人に食べてもらえた方が嬉しいことでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
私の経験から考える、好き嫌い(偏食)のある子への対応をまとめると、
①嫌いなものを頑張って食べさせない。
②栄養素を重視しすぎず、心の栄養を大切にする。
③食べ残すことに罪悪感を抱かせないようにする。
④食べ物の好き嫌いも個人の好みと認める。
といったことが大切であるという結論に至りました。
ぜひ参考にしていただけると嬉しいです😊
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